インターネット上に言論を公開する意味、境治氏からの抗議に応えて

昨晩より俄かに人気者になりつつある「三上俊輔」です。

境治氏というブロガーの方より「Newspicksと三上俊輔に抗議する〜私の記事はピックしないでほしい〜」なる投稿で、並々ならぬ意欲を持った抗議を受けました。

 

最も私への抗議は導入に過ぎず、本論はNewsPicksというニュースキュレーションアプリへの批判であり、こちらは運営側が対応すべき案件ゆえに少しだけ言及し、総論にはなってしまいますが「インターネット上に言論を公開する意味」をコメントいたします。

 

*なお、Newspicksとは様々なニュースや記事に対して、読者がコメントをつけ、それをシェアすることができるサービスです。私は2年くらい前から利用しており、最近は随分ユーザーも増えたのではないかと思います。はてブの文字数多い版とお考えください。

 

 1. 事の経緯は何だったのか?

さて、本件については何の話かよく分からない方もいると思いますので、簡単に事案の経緯を記載します。

  • なかなか本論に入らずご自身の過去記事の紹介や著作の紹介が冒頭展開されるこの記事を私は読みました。そして内心「ご自身の著作のPRをしたい方なのだ」「本論よりもこちらが狙い、自己愛の強い方だ」と感じ、画像のようなコメントをしました。

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  • 5/7に境氏よりTwitter上にて連絡があり、以下のようなやりとりをしました。私は何事もコンフリクトは直接コミュニケーションして解決していくことが一番と考えて境氏にも「お会いしてお話ししますか?」とツイートしましたが、特に提案にはお返事はなく、5/17に今回のブログが投稿されました。

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このブログに対しては、5/17に投稿された後3時間くらいして気が付きましたが、こんな日に限って父子水入らず(嫁さん飲み会ゆえに2人で晩餐→お風呂→遊ぶ)であり、対応は本日となってしまいました。


2. 私が境氏の記事にコメントを書いた理由

ざっくりとまとめると以下のような理由です。

  • 記事の1ページ目はほぼ宣伝、自分の過去のPVと著作の宣伝ばかりであり、「保育園問題」がなかなか登場しません。本当に「保育園問題」を真剣に言論したいのであれば、最初から本論展開します。個人の投稿なので宣伝したい気持ちもわからなくはないのですが、本論述べた後で十分だと考えます。

  • また、その宣伝が2年前の1ブログが中心であり、最近のものではありませんでした。直近、話題になったものであればともかく、2年前の18万いいね!にしがみ付くのはいかがなものだろうかと率直に感じました。また同じ感想を持つ方もいるのではないかと思いました。Twitterでは境氏にも伝えていますが、2年前のヒット作は良かったが、このままだとこの人は2年前のブログの一発屋で終わるな、という印象も持ちました。

  • しかし、これは直接書くには棘がありすぎますので、多くの人がマイルドに理解できるポピュラーミュージシャンを例えにコメントをいたしました。
    私もZARDファンなので、坂井泉水氏をdisる気持ちはないので、どうかその点はご理解ください。

 

そして境氏のコミュニケーションを経て抱いた感想は以下の通りです。

なぜ「お会いしてお話しますか?」という提案を無視して、このような行動に至ってしまうのか?は不思議でなりません。境氏はメディアにおけるコミュニケーションを専門とされているようですが、双方向のコミュニケーションというものを根本的に拒絶されているように見受けられます。

 

本件はビジネスや企業内でも時々見かける光景です。メールだけのコミュニケーションでお互いの真意がつかみ取れずに、当初は「ある行為や事実や意見=こと」の違いから衝突をしていたはずが、いつの間にか「相手そのもの=ひと」を憎み嫌い敬遠するようになってしまう、あれです。吐き気のするようなメール(一方的な情報発信)による人間関係の破たんです。私も過去いくつか失敗しましたが、往々にして自信家(実は井の中の蛙なんだけどね)や知的耐久力に課題のある者が陥ります。

 

最初に会うなり、電話するなりして直接話すと何でもないことが、どんどん拗れ、最終的に出るところにでるか?という紛争に発展します。

 

5/7のコミュニケーションを通じて、私は境氏には、上記に照らし合わせて「お会いしてお話しますか?」と提案しましたが、返答はありませんでした。

なお、正式な抗議というものが昨日のブログ記事であれば、言論に対しては言論でお返しするのがルールであろうと考えて、このように記載いたします。

「お会いしてお話ししますか?」

 

3. インターネットで言論を公開する意味

言論というものは公開されてしまうと、誰彼構わず周知されます。そして個々人は著者(表現者)に対して賛同もするし、批判もします。これは読者(情報の受け手)が勝手に抱く感想であるため、著者の意図するものと異なる場合の方が多いと思われます。

 

特にWEB上で発信するということは全世界に広く言論を公開するものであり、もはやコントロール不能です。著者は読者のあらゆる言論を受け止める覚悟が必要ですし、これが耐えられない、スルーできないのであれば、公開されるツールは使用しない方が良いでしょう。

 

一方でNewspicksのサービス運営に関しては、YouTubeはてブなどと同様に非表示機能を搭載することは取りうべき手段と考えます。特に今回のように著者が直接非表示を依頼するような事案に対しては運営として適切に対応可能なルールが必要だと考えます。

例えばはてブでは以下のような規定が設けられています。


コメント一覧非表示機能について
http://b.hatena.ne.jp/help/entry/nocomment

 

但し、これはWEB上に公開する、つまりより多くの人に情報を受け取ってほしいと考える著者が批判や揶揄を一切受けないということとは異なり、単に当該サービス、プラットホームでコメントが非表示になるだけです。

 

WEBでの情報発信はどこまでもOPENに反応が返ってきますので、最終的には著者は読者からのいかなる反応も受け止めることが求められます。自説への批判は目障りだから止めろという、この批判のハードルを著者が引くことは言論においてはできないと考えます。

 

いつの時代も言論するというのは遍く批判を受け止める覚悟と、批判を受け流す余裕と忍耐が必要であり、意見が異なれば話し合い直接意見をぶつけ合うことが自然です。むしろそこからの意見の展開や発展を楽しむことがオンライン/オフライン双方で言論を公開する醍醐味であろうと考えています。

 

なお、今回の主たるテーマである保育園問題、これは即ち一億総活躍社会における育児世代のパパママに何が必要か?という議論については、私は論より行動と考え直近6年間過ごしてきました。こちらについては明日掲載を考えております。

 

以上